COLUMN

I.W.ハーパー

スペック

【生産地】 アメリカ、ケンタッキー州

【生産者】 へヴンヒル

移民の夢

ドイツ系移民

I.W.ハーパーを生み出したのは、ドイツ系移民のアイザック・ウォルフ・バーンハイム。
彼の生んだI.W.ハーパーは、バーボン・ウィスキーが高級なものではなかった19世紀末のアメリカにおいて、当初から高級品としてブランドを展開し、現在に至る地位を築くようになります。


アイザック・ウォルフ・バーンハイムは、1867年にドイツからアメリカに移住しました。
まだ19歳だった彼は、ペンシルバニアの雑貨店での販売員を始めとして、様々な仕事を転々とします。
その後、ケンタッキーで酒の卸売りの会社を経営していた叔父の元に行き、経理の仕事を担当。
1870年には弟をドイツから呼び寄せて経理の仕事を任せ、自分は酒の営業を行います。
こうして短期間のうちに多様な接客や販売の仕事を行ったI.W.バーンハイムは、顧客重視の姿勢を身につけてゆきました。

兄弟商会

移住から5年後の1872年、I.W.バーンハイムは弟と共にケンタッキーにてウィスキーを樽売りする会社「バーンハイム兄弟商会」を興します。
最初は、それまで貯めた1200ドルを投じてウィスキー1樽を購入し、馬の背中に乗せて広大な範囲を売り歩きました。
粗悪なバーボンが一般的だった当時、彼らの売る高級なバーボンは好評を博し、事業は軌道に乗ってゆきます。


バーンハイム兄弟商会は、主力商品となる「I.W.ハーパー」を設立3年目の1875年に売り出します。
I.W.ハーパーは、ウィスキーは樽売りが主流であった時代に、いち早く透明のボトルを採用しました。
中がよく見える透明のボトルは、顧客に目で品質と状態を確認してもらおうという品質重視の姿勢の表れでした。
この透明のボトルは、現代も変わらず用いられています。

二人のハーパー

I.W.ハーパーという名称の「I.W.」の由来は、もちろん創業者I.W.バーンハイムのイニシャルから。
そして「I.W.バーンハイム」ではなく「I.W.ハーパー」という名称となった理由は、ドイツ的な響きの「バーンハイム」よりも「ハーパー」の方がアメリカ人にとって馴染みがあるとの判断からでした。
この「ハーパー」の由来については、いくつかの説があります。


説の一つは、営業員トーマス・ハーパーに由来するというもの。
トーマス・ハーパーは、燕尾服姿の極めて礼儀正しい営業員で、顧客受けが良く、初期のバーンハイム兄弟商会に多大な貢献をしました。
このトーマス・ハーパーの姿は、後にI.W.ハーパーのボトルにシルエットとして描かれることになります。


もう一つは、I.W.バーンハイムの親友である、馬主兼ブリーダーのフランク・ハーパーに由来するというもの。
I.W.バーンハイムが馬好きであったということもあり、ケンタッキー・ダービーにも出馬させるなど著名な馬主であったフランク・ハーパーの名前を酒に付けたという説です。


それ以外にも、ヴァージニア州のハーパーズ・フェリーに由来するという説などもありますが、実際のところどうであったのかはI.W.バーンハイム本人も明らかにしていません。
おそらく、どれが一つが正解というよりは、バーンハイムは様々な意味を込めて「ハーパー」という名前を付けたのではないでしょうか。

アメリカン・ドリーム

ゴールド・メダル

I.W.ハーパーは、1885年のニューオリンズ万国博覧会で金賞を受賞し、国際的にも高い評価を受けるようになります。
当時はまだ自社で醸造を行っておらず、原酒の買い付けとブレンドのみを行っていましたが、品質の高さが評価されてのことでした。


自社の蒸留所を持つのは、1888年に既存の蒸留所の株を取得してからのこと。
これを機に、バーンハイム兄弟商会は本社をケンタッキー州ルイヴィルに移転し、販売網を広げて業績を拡大してゆきます。
1896年には蒸留所が原酒とともに焼失するという痛手を被りますが、翌1897年には新たに「バーンハイム蒸留所」として再建されます。


そして1900年には、パリ万博でまた金賞を受賞。
それも含め、I.W.ハーパーはニューオリンズ万国博覧会(1885年)から30年間で5つの金賞を獲得します。
I.W.ハーパーのスタンダードな銘柄が、「ゴールド・ラベル」という名前であるのはこのためです。
また、5つのメダルを記念するために、I.W.ハーパーのラベルには5つのメダルがデザインされています。

・1885年 ニューオリンズ万国博覧会
・1893年 シカゴ国際見本市
・1900年 パリ万国博覧会
・1904年 セントルイス国際見本市
・1915年 サンフランシスコ・パナマ・パシフィック博覧会

大戦の終わり

20世紀に入り、アメリカでは禁酒法が施行されましたが、I.W.ハーパーは医薬品としての指定を受けることで製造を続けることが出来ました。
その後に禁酒法が撤廃されると、再登録第一号の酒となります。


第二次世界大戦においても、一般のバーボンは生産が中止されていましたが、I.W.ハーパーは軍需物資として例外扱いされました。
大戦中は、高級品として将校や士官に好まれていたと言われています。
やがて大戦が終わると、進駐軍と共に日本に大量に流入してゆくことになります。


そうした時代の変化の中、I.W.バーンハイムは1915年のサンフランシスコ・パナマ・パシフィック博覧会での金賞受賞を契機に、早くも経営から退いていました。
権力や金銭に執着せず、篤志家としての活動を精力的に展開。
晩年は、5万平方キロの自然公園を始め、様々な寄付を行いました。
そして戦争の終わる1945年、アメリカンドリームを体現するかのような人生を、96歳で閉じました。

I.W.ハーパー

I.W.ハーパーの製造

アメリカのバーボン・ウィスキーは、原料のトウモロコシは含有率51%以上と法律で定められています。
I.W.ハーパーの含有率は、この規定を大きく上回る86%となっており、その高い割合がスムーズな味を生み出しています。
また、5年以上にわたり熟成した原酒に15年熟成の古酒をブレンドすことで、深い味を作り出しています。


I.W.ハーパーを製造するバーンハイム蒸留所は、1937年にシェンレー社が買収し、その後にイギリス資本(UD社、1987年)を経て、現在はへヴンヒル社に経営が移行しています。
名称も「へヴンヒル・バーンハイム蒸留所」となり、コンピュータ管理など先端技術を取り入れた製造が行われています。

I.W.ハーパーの味わい

社

I.W.ハーパーは、上品な甘さとコクのある、飲みやすいウィスキーです。
風味は、口に含んだときは木の香りが漂い、それから柑橘系、チョコレートの香りへと変化します。
飲み方は、ストレート・ロック、ソーダ割りやミントリキュールを用いたカクテルなど、様々に楽しめます。



【ゴールド・メダル】
スタンダード版としてのI.W.ハーパー。
6年以上熟成で、軽く心地よい口当たり。

【101プルーフ】
強い口当たりとスパイシーさが特徴。
101プルーフは、「アルコール度数50・5度」を意味しています。

【12年】
長期熟成を経た、スムーズでなめらかな味わいをもつ酒。
それまで4年程度の短期熟成が定番だったバーボンとしては異例の12年ものとして、1961年に販売されました。

【プレジデント・リザーヴ】
長期熟成した原酒を厳選して製造する高級版。


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