COLUMN

ヘネシー

スペック

【生産地】 フランス、コニャック地方

【生産者】 Hennessy

【販売者】 モエヘネシーディアジオ

コニャック「ヘネシー」

コニャック地方のブランデー

ヘネシーは、コニャックの三大銘柄の一つ。
コニャックとは、フランスのコニャック地方で造られたブランデーで、葡萄などの果汁に加熱の過程を加えて造る蒸留酒です。


コニャック地方のブランデーは、もう一つの名産地であるアルマニャック地方のものと比べ、繊細で女性的な味わいであるとされています。


世界のコニャックの消費量の四分の一はヘネシーが占めており、名実ともにコニャックのトップブランドです。

コニャック地方での醸造

コニャック地方はフランス西部の港町で、葡萄の産地としては不適格でした。
ここで造るワインは酸味が強いのみならずアルコール分も低く、質の良いものとは言えないためです。
そうした悪条件により、近隣地方のようにワインやスパークリングワインを造るのではなく、ワインを蒸留する手法が用いられることとなり、ブランデーの産地としての名声を得るようになりました。


コニャックの原料となる葡萄は、ユニ・ブランと呼ばれる品種で、酸味を多く含有します。
この酸味はワインの風味を損ねますが、熟成させることによって香りの成分となるため、ブランデーには適したものです。
蒸留は単式蒸留器で2回行われ、原酒は仕込み量の15%にまで凝縮されます。


ヘネシーは、コニャック地方で620haもの農地を保有していますが、同社の年間400万ケースという莫大な生産量を賄いきれず、一部は自社外から買い上げています。
収穫した葡萄は29ヶ所の蒸留所で蒸留し、38ヶ所のセラーで熟成させるなど、他の業者とは一線を画する規模での生産を行っています。
ヘネシーが保有する原酒は、25万樽に達しており、それらをブレンドしてコニャックの最適な品質を維持しています。
こうした規模と安定した品質こそが、ヘネシーの強みだと言えます。

ヘネシーのコニャック

ヘネシーは、貯蔵している豊富な原酒を用いることで、特色あるコニャックを製造しています。

【VSOPフィーヌ・シャンパーニュ】
グランド・シャンパーニュとブティット・シャンパーニュで生産された原酒で造られており、繊細でクセの無い味わい。

【X.O】
古酒を用いることで複雑で豊かな香りを持ち、濃厚な味わい。

【リシャール】
一般に入手できる最高級コニャック。
この名前は、創業者リチャード・ヘネシーのファースト・ネームをフランス語式に発音したもの。
100種類以上の原酒を7代目のマスターブレンダーがブレンドしており、最も古い原酒は200年前のものです。
ボトルはバカラのクリスタルが用いられています。

ヘネシーの歴史

ヘネシー社の設立

ヘネシーを創業したのは、アイルランド出身のリチャード・ヘネシー(1724〜1800)。
当時の英国統治下のアイルランドでは、プロテスタント側の圧政を嫌い国外に脱出するカトリック教徒が多くいましたが、リチャード・ヘネシーもその一人でした。
リチャード・ヘネシーは、故郷を脱しカトリック教徒であるルイ15世の治めるフランスに移住。
その後は「ワイルド・ギース」と称される外人部隊の一員として、軍属に就いていました。
そして1765年、41歳の時にコニャック地方で「ヘネシー」社を立ち上げ、コニャックの販売を始めます。


その後、リチャードの息子であるジェームズ・ヘネシーにより、「ヘネシー」は会社組織となりました。
以後は、順調な発展を続け、現代まで8代にわたりヘネシー家の人間が経営しています。


100年目の飛躍

創業から100年後、4代目当主のモーリス・ヘネシーの時代に、ヘネシーは大きな発展を遂げます。
まず1865年に、それまで樽売りしか行われていなかったコニャックを、ボトルに入れて出荷する方式を他社に先駆けて採用しました。
そして星印を用いて自社のコニャックの等級を示すことも始めました。
当時はブランデーが流行しており、同業者も多数いましたが、こうした一連の施策によってヘネシーは頭角を現してゆくこととなります。
また、1868年(明治元年)には成立間もない日本帝国にも輸出するなど、販売先を世界中に展開してゆきます。


コニャックの等級を表すのに用いられている「X.O(Extra Old)」の表示も、モーリス・ヘネシーが始めたものです。
当時のヘネシー家では、親しい相手へのプライベートなもてなしに、年代ものの原酒(オー・ド・ヴィー)をブレンドして供していました。
この原酒をモーリス・ヘネシーがブレンドし、「X.O」として1870年に発売したのが世界で最初のX.Oです。

ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー

LVMHグループ

モーリスの時代から更に100年が経った1971年、ヘネシー社はドン・ペリニヨンなどを造るモエ・エ・シャンドン社と合併し、「モエ・ヘネシー」となりました。
1987年、モエ・ヘネシーは更にルイ・ヴィトン社と合併し、「ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMH)」となります。
その後、クリスチャン・ディオール社による買収などを経て、酒造、化粧品販売、時計製造などの一流ブランドを多数擁することに。


現代のヘネシーは、ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMH)グループとして、ファッション業界を代表する巨大コングロマリットの一角を担っています。
多くの有名ブランドを統括するLVMHグループの年間売上高は、2兆円を超えています。


超高級コニャック

社

LVMHグループとなってから、ヘネシーとしての高級ブランドとしての路線を一層追及しており、高価な限定版コニャックをいくつも出しています。

【2005年「エリプス」】
ヘネシー「エリプス」は限定2000本で、一本100万円
バカラのボトルだけで30万円というもの。

【2007年「X.Oマチュザレム」】
ヘネシー「X.Oマチュザレム」は300本の生産で250万円。

【2008年「ボテ・ド・シエクル」】
ヘネシー「ボテ・ド・シエクル」は、6代目当主キリアン・ヘネシーの生誕100周年記念として販売された100本限定のもの。
美術品のような美麗なガラス細工の箱に収まっており、価格は2500万円でした。


圧政を逃れるために、アイルランドからフランスに移住した初代リチャード。
そして、フランスでは主流の酒と位置づけられていなかったコニャック。
そのリチャードの興したコニャック作りの事業が、200年以上の歳月を経て、酒造のみならず欧州のファッション業界のすべてを巻き込む企業に成長し、これほどまでに高級な酒を販売するに至るなど、誰が想像できたでしょうか。


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