COLUMN

ドン・ペリニヨン

スペック

【生産地】  

【生産者】 モエ・エ・シャンドン

【ウェブサイト】 ドン・ペリニヨン公式ホームページ 

17世紀、修道士ドン・ペリニヨン

酒庫係ピエール・ペリニヨン

酒庫係ピエール・ペリニヨン

ドン・ペリニヨンことピエール(ペトルス)・ペリニヨン(1638〜1715)は、オーヴィレール修道院の盲目の修道士でした。
オーヴィレール修道院は、フランス北部シャンパーニュ地方のランス近郊の村落に、今も現存するベネディクト派の修道院です。
ここでは当時、修道院の運営のために、巡礼者に販売するためのワインの醸造が行われていました。
ドン・ペリニヨンは、酒庫係(セラリウス)としてワインの醸造と管理を行っていました。


ドン・ペリニヨンは、盲目ながら優れたワインの造り手でした。
ワインを仕上げる際には、各地の葡萄のワインを混ぜるという、当時はまだ確立されていなかったアッサンブラージュの手法を用いました。
寒冷なこの地域では、ワインの酸味が突出するために、畑の短所、長所を生かしてワインをブレンドすることにより、品質を格段に高めることができます。
とはいえ、技術や道具が確立されていない時代に、畑ごとのワインの味と毎年の特徴を把握した上で、その都度アッサンブラージュするのは、容易でなかったはずです。
もしかしたら、盲目ゆえに感性が鋭敏だったのかもしれません。


栽培や収穫に関しても、ドン・ペリニヨンは先進的でした。
葡萄の味を良くするためには、木の房を減らすことが大事だと気付き、剪定を大胆に行いました。
また、収穫は葡萄の鮮度を良くするために、早朝に実施。圧搾も収穫からの時間をできるだけ短くしました。
黒葡萄から白ワインを作ることも、ドン・ペリニヨンが初めて行いました。

「シャンパンの父」としての伝説

ドン・ペリニヨン

ドン・ペリニヨンは、現在のシャンパン造りの根幹とも言うべき基礎的な技術を確立するのに大きな役割を果たしました。
そのため、「シャンパンの父」と称され、その名は敬称の「ドン」をつけて「ドン・ペリニヨン」と呼ばれています。


実際、ドン・ペリニヨンが造ったワインは評判が良く、通常の倍の値段で売れたそうです。
そのため、荒廃していたオーヴィレール修道院の復興にも役立ちました。
また、1674年にドン・ペリニヨンが役人に宛てた手紙には、「世界最高のワインを26本送る」と書かれています。


ドン・ペリニヨンについては、その大きな功績から様々な伝説が伝えられています。
ワインの瓶詰めで、シャンパンになる際の圧力に耐えうる耐久性を求めて、イギリス製の頑丈な瓶を使用したという話。
また、当時使われていた木製の栓から、スペイン巡礼で存在を知ったコルク栓を初めてワインに使用し、その結果シャンパンが生まれたという話。
そして、シャンパンを創り出した際に「まるで星を飲んでいるようだ」と叫んだという話などです。

ノートルダム大聖堂とオーヴィレール修道院

オーヴィレール修道院

オーヴィレール修道院の所在するランスは、大聖堂とシャンパンで有名な場所です。
ランスにあるノートルダム大聖堂は、6世紀末のメロヴィング朝の時代から、フランスの歴代の王の戴冠式が行われる場所でした。
例えば15世紀のシャルル7世の戴冠式にはジャンヌ・ダルクも列席し、18世紀のシャルル10世の戴冠式はロッシーニの歌劇「ランスへの旅」の題材にもなっています。


歴代の王の戴冠式に用いるワインは、ドン・ペリニヨンの居たオーヴィレール村か、近隣のアイ村で産出されたものに限られていました。
そうした功績を称え、現代のノートルダム大聖堂のステンド・グラスの中心には、一介の修道士であったドン・ペリニヨンの姿が描かれています。


ドン・ペリニヨンがワイン造りをしていたオーヴィレール修道院も現存しており、モエ・エ・シャンドン社が所有しています。
しかし、いまだ修道士たちの生活の場であるため、一般人は立ち入ることができません。
1715年に77歳で逝去したドン・ペリニヨンは、ノートルダム大聖堂ではなく、同修道院の教会の祭壇前に静かに葬られています。

現代、シャンパン「ドン・ペリニヨン」

モエ・エ・シャンドン社の広告戦略

モエ・エ・シャンドン社

シャンパン「ドン・ペリニヨン」を造っているモエ・エ・シャンドン社(Moet & Chandon)は、ドン・ピエール・ペリニヨン没後の1743年に設立された、伝統あるメゾンです。
モエ・エ・シャンドン社の展開する複数のブランドの中でも最高級のものがドン・ペリニヨンで、同社の前には、ドン・ピエール・ペリニヨンの銅像が聳えています。


モエ・エ・シャンドン社がドン・ペリニヨンを販売し始めたのは、20世紀前半のこと。
メルシェ社の保有していた「ドン・ペリニヨン」の商標を入手し、1936年に発売した「1921年ヴィンテージ」を「ドン・ペリニヨン」と名付けてして発売したのが最初です。


ドン・ペリニヨンは、品質の高さとモエ・エ・シャンドン社の広告宣伝戦略の巧みさから、現在のような評価を得るに至りました。
ドン・ピエール・ペリニヨンに関する多くの伝説、例えば「シャンパンの父」であることや「星を飲んでいるようだ」といった言葉などは、同社の広告宣伝戦略の一環として生まれたエピソードです。
実際には、17世紀当時すでにロンドンでスパークリング・ワインが造られており、ドン・ピエール・ペリニヨンはワインに炭酸が発生しまうことに悩んでいました。

ヴィンテージ・シャンパン

ジョニー・ウォーカー

現在のドン・ペリニヨンとかつての修道士ドン・ピエール・ペリニヨンに直接の関係はありませんが、「シャンパンの父」の名を冠するシャンパンとして、ドン・ペリニヨンの製法は質の追求に妥協がありません。


ドン・ペリニヨンは、大量生産される一般のシャンパンと異なり、作柄のいい年の葡萄のみで造られる「ヴィンテージ・シャンパン」として造られます。
葡萄の出来は、年ごとの気候によって大きく左右されるため、不作であった年は醸造そのものが行われなくなります。
また、原料の葡萄は、畑ごとに選別されます。
その際の基準は、畑の古さと日当たり。
樹齢が古い葡萄は収穫量が少ないものの上質なため、畑の古さが重要になると考えられています。
また、収穫され醸造されたワインは、テイスティングによってさらに選別されます。


このように、ドン・ペリニヨンが造られるまでには、年度と畑と原酒の各段階で選定が行われます。
そうして厳選された原酒を醸造し、7〜8年の熟成期間をおいてドン・ペリニヨンとして出荷されます。
そのため、現在入手できる最新のドン・ペリニヨンは、2001年ものとなります。

様々なドン・ペリニヨン

ドン・ペリニヨン

ドン・ペリニヨンの種類は、以下のものがあります。



【キュヴェ・ドン・ペリニヨン】(ドンペリ白)
通常のドン・ペリニヨンです。
ピノ・ノワールとシャルドネをブレンドしています。

【ドン・ペリニヨン・エノテーク】(ドンペリ黒)
ン・ペリニヨンをさらに熟成させたもの。
シャンパンは最初の熟成の後に、二度目、三度目の「偉大なる熟成(プレ二テュード)」を迎えます。
時間がかかる分、より深く熟成されたシャンパンとなります。
例えば1995年の「エノテーク」は、13年の熟成が行われています。

【ドン・ペリニヨン・ロゼ】(ドンペリ・ピンク)
ドン・ペリニヨンのロゼ・シャンパンです。
原料のピノ・ノワールが特別な熟成をした年にのみ造られる希少品です。
日本では「ピンドン」などと呼ばれています。

【ドン・ペリニヨン・レゼルヴ・ド・ラベイ】(ドンペリ・ゴールド)
ドン・ペリニヨンの最上級品。
澱を取り除かずに熟成させたことで、濃厚な味わいがあります。
極めて希少な品で、フランスと日本でのみ入手できます。

【ドンペリ・キュベ エノテーク】(ドンペリ・プラチナ)
「ドンペリ黒」ことドン・ペリニヨン・エノテークの30年以上前のものです。
長い熟成期間を経た、究極のドン・ペリニヨンです。


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